島原親教会140年「今を生きる信心」

 こんにちは、四日市のこんこうさんです!

 2025年10月15日、四日市教会の親教会(手続きの親)である金光教島原教会(京都市)は、生神金光大神大祭並びに布教140年記念祭を麗しくお仕えになられました。祭主は島原の親教会である難波教会(大阪市)の近藤清志先生、副祭主は島原教会長の杉田喜美子先生がお仕えになられました。祭主挨拶で難波の親先生は、13日に閉幕した大阪・関西万博のことにも触れながら、天地書附を生きる要とするということをお話されました。

 また、「今を生きる信心」という講題で、豊岡教会(兵庫県豊岡市)の井上昌直先生が記念講話をされました。

 ・・・この140年という島原教会の歴史の中で、初代・杉田政次郎先生にご縁を頂いた私たちの先祖のこと、そして今現在の私たちの信心のこと。私たちが生きるということは、一寸先に何が待ち受けているか分からない。今を生きるということは、未知なるものとの出会いの連続である。それらをどのような心で受け止め、次の一歩をどのように刻んでいくかが大事である。その時に、信心があるかないか、神様に向かう心があるかどうかで変わってくる。私たちは、今を生きる信心を教えて頂いているということを腹入れさせて頂きたい。

 天地の森羅万象、天恩と地恩、天地の働きの全てが私の命を支えてくれている。その天地の働き全ての源が天地金乃神様である。天地には私を生かそうとする意志がある。天地には心がある。天地には道理がある。金光教の教祖様はこの天地の道理を神様に教えて頂いた。拝んだら信心になるかというと、このお道ではそうではない。「拝まなくてもよい、ただ一つ真の信心をせよ」という。それはどういうことかというと、天地の道理を知って実践する生き方をすることである。神様が人間を助けたいと思っても、願う一人ひとりの心がどのようであるか。一人ひとりの日々の生き方がどうであるか。それによっておかげの現れ方も違う。

 神様に祈って願えば神様が助けてくださるのか。この道は話を聞いて助かる道である。金光教の一番大事なことは、一つ目に天地の道理、二つ目に神様と人間の間柄、この二つをしっかりと理解させていただくことである。そして、天地書附が私たちの生きる要にならなければいけない。

 天地書附にはまず「生神金光大神 天地金乃神 一心に願(え)」とある。生神金光大神のお取次ぎをもって天地金乃神様に一生懸命に真心をこめてお祈りする。その次に「おかげは和賀心(わがこころ)にあり」とあるが、おかげを受けるには和らぎ喜ぶ心、喜びを和にする(加える)心になることが大切なのである。そうすれば、難儀のどん底にあっても神様の光を見出すことができる。目が見えなくても耳が聞こえて声が出せることに気付いて喜ぶことができる。同時に神様からの贈り物、天地金乃神様の光を見出すことができる感性を磨くことが大事である。「おかげは神から出ると思うな、一人ひとりの信心辛抱からおかげが出ると思え」という。

 そして最後に「今月今日でたのめい」とあるが、これはお任せをするということである。神様にお願いしたからには神様にお任せする。何がおかげになるかは人間には分からない。一見して自分には都合の悪いことがおかげになることもある。おかげは自分で決めない。おかげというのは後になって、あれもおかげであった、これもおかげであった、ということが分かってくるのである・・・

ということを分かりやすく丁寧に、かつ熱くお話しくださいました。

 最後に、島原教会副教会長の杉田二郎先生が締めの挨拶をされました。島原教会初代の杉田政次郎先生が明治18年に京都布教されて、5代にわたり140年のお道の御用が奉仕され、そのご縁につながる一人として、誠にありがたく御礼申し上げます。

 天地書附:「生神金光大神 天地金乃神 一心に願 おかげは和賀心にあり 今月今日でたのめい」という言葉が教祖の直筆で記された紙で、金光教の信心の要である。